吠えられて 息止まるほど 犬怖い
ツリィです!
「犬も歩けば棒に当たる」
個人的に知名度の高い諺ナンバーワンなんじゃないかと思うこの諺
実は、全く正反対の二つの意味があることを知っていましたか?
まずはその二つの意味をさらっと説明しますね
1.犬も歩いていると人間に棒で叩かれるように、でしゃばるとろくな目にあいませんよということを表すさま
こちらは比較的ポピュラーな方の意味だと思います
正直、初めて見たときはめちゃめちゃ引きました
歩いている犬を叩くなんて。可哀想すぎます。
動物愛護団体が黙っちゃいませんよ。
でもわたしが一番違和感を感じるのはこの「当たる」って表現なんですよね
「当たる」って。意図的な悪意による殴打のくせに、なにしれっと不慮の事故ぶってるんですか。
正しくは「犬も歩けば棒で叩かれる」でしょう
世の中が世知辛いのは人も犬も一緒ってことですかね……
動物には優しく接する心を持ちたいものです。
こちらはネガティブな意味、いわゆる『ネガ犬歩』と呼びましょう
2.犬も歩いていれば骨(幸せ)に巡り合えるように、外に出るとよいことがあるよということ
はい、こちらは先ほどとは打って変わってポジティブな意味を表しています
「早起きは三文の徳」
とか
「寝る子は育つ」
のように、
身体の健康に良いとされる行いを成功イメージを持たせて促す
という趣向が諺にはあるようですね
”しかし「骨」を「棒」と見立てるのはちょっと無理があるんじゃない?”
なんて突っ込みは一旦置いておきましょう。
“言葉”を考える上で大切なのはなにより定義とフィーリングですから
こちらはポジティブな意味、いわゆる「ポジ犬歩」です
さて、二つの意味を提示したところで次に出てくる疑問は
「じゃあ、実際に話すときはどう使い分ければいいの?」
というものですよね
まあ、厳密には前後の文脈や話の論点から推測してもらうことになるでしょうが
「1㎜も誤解されたくない! わたしは諺定規でありたい!」
というあなたは、
「犬も歩けば棒で叩かれる」
「犬も歩けば骨に出会う」
といった風に言い換えてみてはいかがでしょうか
要はこの諺の解釈が統一されない原因は
「棒」という名詞の物体と
「当たる」という動詞の事柄が
不明瞭、つまり曖昧であるところにあるのだと思われます
だからそこを明確にしてあげることで意味が伝わりやすくするのです
言葉は用途や要所によって形を変えるものですからね
あとはさきほど言っていた『ネガ犬歩』『ポジ犬歩』と言ってみるのもいいかもしれません
おそらく意味が伝わらず「???」といった反応をされてしまうでしょう
ただ、無理に日常会話で使う必要はありません
諺において大事なのは、
この言葉を伝え残してくれた先人の想いを汲み、そこから何かを学ぶ
ことだからです
矛盾しているかのような、二つの意味を持ってしまったこの諺にも
一貫して伝わるもの、学び取れるものはあります
つまり
「どこをどう歩いていても叩いてくる人はいるし、傷をつけられてしまうこともある
それでもめげずに歩き続けていれば、骨(成功)に出会うことはできる」
外界を恐れるな。人間を恐れるな。失敗を恐れるな。
それが「犬も歩けば棒に当たるです」
あなたも一度、犬になったつもりで外を歩いてみてはいかがでしょうか
きっと、面白い棒が落ちているはずでしょう。
このように、
一つの語で相反する二つの意味を有してしまうほどの解釈の多様性や表現の複雑さ
が、言葉の面白いところですよね
みなさんも日頃から見聞きする語の意味を調べ、考え、興味を持ってくれたら嬉しいです。
”最後に”
もうすでに色んなところで色んな人が12年周期で言っていることと思いますが、
今年は戌年だけに“ワンダフル”な一年にしていきましょう
幸せの鳥は11年後に。
ではまた夢鳥で会いましょう!
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